簡単なプロフィール

ブログ歴

2013年からWordPressをはじめました。
Mac使いでありiPhone大好きですが、仕事上Windowsも使っていますし、ギークなことはWindowsの方が汎用的にできるので、Windowsもそれなりに理解しています。
WordPressでは、最初はカメラマンの仕事用のサイトでのブログを書いていましたが、段々とカメラマンの仕事に関すること以外のことを書くようになってきたので、自分の趣味や仕事などのことがかけるブログを立ち上げました。
趣味やこだわり

チェロを弾いたり、アウトドアでキャンプやバーベキューに行ったりしてます。家族でのキャンプ以外でもおっさんだけのキャンプも積極的に行っていて、自分ひとりの時間というのもできるだけ大事にしています。また手作りでうどんやパスタを打ったり、パンを焼いたりするのが好きですし、好きがこうじて趣味になっています。
仕事
仕事は会社員としての顔は人事総務屋さんです。得意な分野は人事で言うと研修、採用、労務管理です。工場の労務担当の経験を活かして、従業員の個別の労務関係の問題対応を得意としています。研修は新入社員から5年目くらいの若手の社員の研修企画から講師を良くしています。
もう一つの顔としては、カメラマンです。和装の結婚式の衣装を着た新郎新婦様のロケーションフォトをメインに活動しています。または子供の写真には定評があり、七五三やお宮参りといった写真の撮影も行っています。
詳細プロフィール
細かいプロフィールを説明するのにまずは一覧をご覧ください
項目 | 詳細 |
---|---|
生年月日 | 1978年11月産まれ |
性別 | 男性 | 身長・体重 | 171cm・78kg |
星座 | 蠍座 |
仕事 | 人事・総務 |
ライフワーク | カメラマン、ブロガー |
座右の銘1 | 心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる |
座右の銘2 | 率先垂範 |
もともとは教師を目指した
小さい頃から人に何かを教えたり、人とともに何かを作るということがとても好きな子供でした。
何かを作ると言っても、ものづくりをするのではなくて、例えば学芸会の劇を作る、クラスで共同作品を作る、文化祭のクラスの出し物を作るといったどちらかというと無形のものです。
集団で何かをするというのは、たくさんの苦労があります。やる気のない人、自分のやりたかったこととは違うことをするという人、みんなで集まって何かをするのが苦手な人。そういった様々な背景のある方と一緒になって何かを作り上げるということに対して異常なくらいのこだわりとやる気を持っていたような気がします。
そういった思いが、教師という職業をすることでおとなになっても満たされるのではないかと思い、教師の道を目指していたのかもしれません。
また中学校の頃、少しいじめにあっていたこともあってか、弱い人に対するサポートもできればしてあげたいなと思う気持ちを持っているというのも教師を目指したい理由の一つかもしれませんね。
高校受験で教師の道を諦めた
なんとしても小学校の教師になりたかったという思いが強かったので、大学は教育大学や国公立の教育学部に行くということだけを目標に持って勉強をしていました。
といっても、高校時代は吹奏楽部のクラブにうつつを抜かして勉強は全くしていなかったので、現役では目標としている大学には全く入ることはできませんでした。
なので、浪人をして教育大学や国立大学の教育学部を目指したのですが、結局一浪して合格したのは、地方の国立大学の教育学部でした。
受かった大学に母親と一緒に学校見学をしたのですが、見学をして一番思ったのは、「この場所で4年間過ごすのは辛いというか無理」ということで、悩んだ結果小学校の教師の道を諦めて、滑り止めで受かっていた、京都の私立大学の経営学部に行くことにしました。ここが僕の大きなターニングポイントだったのかもしれません。当時は本当に情けない判断をしたなと後悔をしていましたが、今となってはこれで良かったんだと思います。
大学の最初は自堕落生活な生活
大学に入ってからというもの、本当に自堕落な生活をしていました。
授業は適当に受けて、授業が終わったらバイトをするかコンパをするか、友達と河原町や木屋町で飲み歩く、なんていう生活をしていました。
経営学部なんて名称でしたが、大した勉強もしていませんでしたし、別に勉強しなくても大学にさえ卒業できたらいいかな、なんて思っていました。
まぁ、典型的な大学生の生活を続けていたような気がします。
分岐点は大学のゼミ
そんな自分が変わったのが、大学のゼミでした。僕が通っていた大学は1回生からゼミの前進のようなものがあり、まずは1回生で自分の学問の方向性を決めます。これは2年間行われます。その後自分決めた学問の方向性に沿ったゼミに入り、2年で学問を修めるというものです。
僕がたまたま選んだゼミが、大学の中でも結構気難しい先生が運営しており、評判があまり良くないゼミでした。当時僕はゼミには全く興味がなく、申込みのギリギリに倍率の低かったゼミに申し込めば良いやということで、申込みをしたのがその気難しい先生でした。
ただ、その先生の専攻が経営情報という当時としてはハイカラな分野の学問で、インターネットや情報技術と経営というちょっと異端的な学問だったことと、先生がとにかくビジネスライクで、しっかりと納期意識の醸成、スケジュール管理、コミュニケーションとコラボレーション、ナレッジの蓄積と活用、ノウハウの伝承、ITスキルを十分に活用した効率化といったことを教えてくれたということで、大学4年間でビジネスマンとしての基礎の基礎を叩き込まれました。
大学のゼミで就職活動のための活動も行いました。エントリシートをゼミ生で共有しあって、書き方を学んだり、SPIの勉強会をしたり。業界研究会と称して一人一業界を調べてみんなの前で発表しあって業界知識を広げるのとプレゼンテーションの練習をする会、面接練習会など実践的な就職活動対策を自らが企画して実践し、改善するといったこともしていました。
そのおかげもあってかうまく就職活動も通過することができました。
今でもその先生には頭が上がりませんし、今後も一生自分の師匠として色々な示唆を与えてくれる方だと思います。
ビジネスの世界では2つのステージを過ごす
就職をしてからは2つのステージを過ごしました。20代から30代前半はコンサルタントとしての活動30代後半以降は人事としての活動です。
前半のコンサルタントはビジネスコンサルタントとして業務プロセス改善であるBPRを主体に、システム導入コンサルタント、システム構想コンサルタントの道を突き進んできました。
その後は、人事コンサルタントとして目標管理などの人事評価制度の設計や研修企画、研修講師などを行いながら、採用代行(予算をもらって、採用人員を取る)をしたりと人事のアウトソーサーとしてお客様と一緒に仕事をしてきました。
ビジネスマンとしての30代後半は、企業の人事マンとして主に製造業の人事総務担当として就業をしています。主に教育研修や採用についての仕事をしており、研修ならば新入社員向けまたは管理職前の研修については計画立案、講師対応まで行うことができます。また採用については新卒採用ではナビを活用して年間10~20名の採用を行ってきました。中途採用については、人材紹介会社を活用した採用を行い、年間20名程度の採用を一人で行っています。
簡単な実績ではありますが、記載をします。こうしてみると結構いろいろな仕事をしてきたなぁと感慨深いです。
職種 | 業界 | 規模 | 役割 | 実績 |
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システムエンジニア | 総合電機メーカー | 31,827人(単体) | スタッフクラス | システム導入コンサルティング(3社)、SE向け業務ヒアリングスキル向上研修の企画、業務アプリケーションの環境構築とプログラミングテスト |
HRコンサルタント | コンサルティング会社 | 1,564名(単体) | リーダー | 採用代行(年間採用10名程度)、営業社員向けスキル研修、自動車部品メーカーモチベーション向上コンサルティング、人事制度(評価)設計 |
総務・人事 | 大手タイヤメーカー | 7,175名(単体) | 課長代理 | 総務時代:株主総会担当、オフィス建設PJプロマネ、グループ会社移転PJプロマネ、本社地区人員再配置PJプロマネ。人事時代:工場人事責任者(採用、研修、労務管理、評価、環境、安全) |
人事 | 大手製薬会社 | 5,291名 ( 単体 ) | 課長代理 | 大坂にあるフラッグメントシップ工場の人事(研修、労務管理、評価)を担当 |